MEDIA CRITIQUE へようこそ
 このサイトは2007年10月末に原則有料で立ち上げました。以前に執筆し、新聞、雑誌などに既に掲載された記事のうち著作権があるもの、あるいは紙媒体やネット媒体に掲載された最新記事を掲載から1ヵ月後を目処に発行・出版元に通知、了解を得た上で無料公開してきました。無料記事には予想外のアクセスがありましたが、有料記事(未発表)は膨大な時間をかけて執筆し、公開しても、有料購読者の数はごく限られていました。このため、費用対効果では大赤字となるためわずか半年で本格論考の掲載は停止して無料化、2009年5月末から再び一部有料とするなど試行錯誤を続けてまいりました。

 このようなトライアンドエラーを重ねた末に、2011年2月中にサイトを全面刷新すべく、準備を進めています。タイトルは「加治康男の診る世界、歴史、未来」で、サブタイトルを「MEDIA CRITIQUE 」といたします。

 本格論考についてはリード部分のみを公開して、その続きを読みたい方には料金をお支払いただきます。料金は1本40円、最低25本一括注文から受け付けます。IDナンバー、パスワードを付与して会員になっていただきますが、支払い方法などは新サイトで詳しく説明します。わざわざ金融機関まで出向く手間を省ける、最も支払いやすい方法を検討中です。

 有料記事は長期連載を柱に、徹底した取材と独自の視点で34年の記者経験のすべてを凝縮した成果を提供します。新サイトのタイトルを「加治康男の【診る】世界…」としたのはこのためです。加えてドイツ語、英語圏の有力メディア、とりわけオルタナティブ性の高いネットメディアから秀逸な論考を選択し、翻訳文(同一テーマに関する複数の報道を要約し統合する場合もある)とその解説記事をできるだけ一定の頻度で掲載します。

 この10年、ネットメディアの目を見張る台頭で今や新聞、雑誌をはじめ印刷媒体の出版物は部数減に歯止めがかからない、未曾有の不況に陥っており、もはやこの衰徴を抑えることは無理と見ております。10年、否5年内に印刷媒体としての新聞、雑誌を中心に廃刊が加速的に進み、存続できるのは一握りと予測できます。

 一方、無料が常識とされがちなネット情報を有料とするには質の徹底向上が要求されます。このような事情から、これからは基本として紙媒体のメディアへの依存は最小限に抑え、自分のサイトを活用することに徹します。ビジュアルな写真、図解なども取り入れ、しぶとく良質な記事、論考、エッセイを提供し続ける覚悟です。ご支援をいただければ幸いです。

電子メール はkazi.yasuo@blue.plala.or.jp です。

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最新の時事雑感
(2011年02月15日)エジプト政変にみるワシントンの策略  覇権と画策(2)

チュニジアの民衆蜂起と政権崩壊がドミノ現象を引き起こし、独裁体制を敷いていたムバラク大統領への民衆抗議が1月25日に始まり、2週間後にムバラクは政権を投げ出した。オバマ政権がムバラク体制を維持しようとし...(続きを読む)
更新情報
2011-2-15時事雑感、━エジプト政変にみるワシントンの策略  覇権と画策(2) を掲載しました。

2011-2-12時事雑感、━エジプト政変にみるワシントンの策略  覇権と画策(1) を掲載しました。

2011-2-09時事雑感、━独メディアのチベット報道紹介(完) を掲載しました。

2011-2-05時事雑感、━2000年のスパンで見る米中関係(4) を掲載しました。

2011-2-03時事雑感、━フィリピンでの政治殺戮と恒久民族民衆法廷(PPI)判決全文 を掲載しました。

2011-2-01時事雑感、━独メディアのチベット報道紹介(5) を掲載しました。

2011-1-31時事雑感、━米比関係研究者、伊藤裕子、中野聡両氏に問う(1) を差し替えました。

2011-1-30時事雑感、━フィリピン国軍前参謀総長、巨額の収賄認める  を掲載しました。

2011-1-28時事雑感、━読者の声 チベット問題について を掲載しました。

2011-1-27時事雑感、━所得制限で低所得者に厚く配分を 子ども手当と財政窮迫 を掲載しました。

2011-1-26時事雑感、━独メディアのチベット報道紹介(4) を掲載しました。

2011-1-20時事雑感、━2千年のスパンで見る米中関係(3) 胡錦濤訪米に際して を掲載しました。

2011-1-17時事雑感、━独メディアのチベット報道紹介(3) を掲載しました。

2011-1-14時事雑感、━独メディアのチベット報道紹介(2) を掲載しました。

2011-1-13時事雑感、━独メディアのチベット報道紹介(1) を掲載しました。

2011-1-11時事雑感、━「モモ」その2 を掲載しました。

2011-1-10時事雑感、━2千年のスパンで見る米中関係(2) 福田和也氏への質問 を掲載しました。

2011-1-9時事雑感、━ojomjqdcy さんへ を掲載しました。

2011-1-8時事雑感、━2千年のスパンで見る米中関係 その(1)) を掲載しました。

2011-1-6時事雑感、━在比米軍関連記事をめぐる読者への回答 を掲載しました。

2011-1-4時事雑感、━「モモ」を再読して)) を掲載しました。

2011-1-3時事雑感、━既成の価値観を超えて(1月2日ブログの差し替え)) を掲載しました。

2011-1-1時事雑感、━アジア記者クラブの紹介(2) 石破元防衛相、普天間問題に絡み史実を歪曲 を掲載しました。

2010-12-31時事雑感、━「アジア記者クラブ」の紹介 【特報】 アジア版秩序再編への米戦略、奏功か?北朝鮮砲撃事件の深層 を掲載しました。

2010-12-30時事雑感、━2010年12月27日掲載「”第2の小沢”を得られぬ米の苛立ち」の本文を差し替えました。

2010-4-3時事雑感、━<米政府とアロヨ大統領の利害一致か―フィリピンで37年ぶりに戒厳令 岩波「世界」2010年3月号掲載 /a>を掲載しました。

2009-5-28 有料記事掲載、
━「日米同盟に新地平を」と意気込んだ小沢を叩いたのは誰か!オバマ米新政権の対日戦略の深層を抉る を掲載しました。

2009-3-24時事雑感、━アフガン戦争の解読 岩波・世界09年3月号掲載の翻訳原文 を掲載しました。

2009-2-8 時事雑感、━消え去る戦争世代と介護の現場 人生の黄昏を見た  14年後の日本考(5) を掲載しました。

2009-1-31 時事雑感、━朝青龍のガッツポーズはけしからん?国技・大相撲の体質にみる日本企業の人事管理 を掲載しました。

2008-12-24 時事雑感、━新宗教に魅惑される妻たち 背後に殺伐とした夫婦関係 14年後の日本考(4) を掲載しました。

2008-12-12 時事雑感、━日雇い派遣労働者として体感する日本型貧困の実態  14年後の日本考(3) を掲載しました。

2008.11.30 時事雑感、━なぜ自殺者は増え続けるのか 雇用不安と窮乏感の病理 14年後の日本考(2)  を掲載しました。

2008.11.13 時事雑感、━バブル後遺症を克服できず、貧困と格差の拡大進む 14年後の日本社会考(1) を掲載しました。

2008.11.03 時事雑感、━日本の安全保障に初めて関与したメルケル首相 72年後に新たな日独軍事連携を形成へ を掲載しました。

2008.10.23 時事雑感、━舞台裏で軋み増す「日米同盟」 象徴は軍用航空宇宙ビジネスの確執 08年5月i掲載 を掲載しました。

2008.10.14 時事雑感、━日豪関係における政治とメディアの温度差━軽視された豪新首相初訪日の深層 2008年7月掲載分 を掲載しました。

2008.10.10 時事雑感、━欧州連合(EU)の宇宙軍拡進展に焦る日本の防衛産業 2008年8月掲載分 を掲載しました。

2008.10.7 時事雑感、━岩波書店・世界連載第2回目 2008年7月号━を掲載しました。

2008.6.12 時事雑感、汝ら貧民飢えて死ね!━食糧危機叫ぶ先進国の飽食 途上国貧困層の絶望を掲載しました。

2008.6.4 時事雑感、宇宙軍事利用を促進する防衛大・自衛隊━JAXA連携 宇宙基本法制定は現状の追認だを掲載しました。

2008.6.2 時事雑感、「四川大地震は報い」とのストーン発言は米欧の本音代弁 ダライ・ラマとハリウッドを掲載しました。

2008.5.16 時事雑感、72時間のデッドライン後に派遣された日本救助隊を掲載しました。

2008.5.15 時事雑感、四川大地震被災者を黙殺する米欧の中国封じ込めを掲載しました。

2008.5.2 時事雑感、比で小学生らを拉致、臓器摘出後に死体遺棄? 凶悪犯罪を生む臓器売買禁止措置を掲載しました。

2008.4.25 時事雑感、唐突な安部、メルケル会談 その真の目的は? を掲載しました。

2008.4.23 時事雑感、珍しく日本の新聞・社説に感動 を掲載しました。

2008.4.18 時事雑感、世界3月号掲載記事を公開 を掲載しました。

2008.4.17 時事雑感、点検 北京五輪謀略説(1) を掲載しました。

2008.3.15 時事雑感、フィリピンで改めて現代日本を考えた を掲載しました。

2008.2.28 時事雑感、お詫び を掲載しました。

2008.2.23 時事雑感、新聞報道点検の新規記事リード を掲載しました。

2008.2.23会員向け記事、 コソボ独立宣言の暗部に目をつぶる日本のメディア なぜ米独、NATOの野心を黙認するのか を公開しました。

2008.2.17 時事雑感、【解説】米露冷戦の新規記事リード を掲載しました。

2008.2.17会員向け記事、 ロシアの勢力伸長とNATOの不協和音で軋む米同盟 自衛隊派遣絡む米露の「戦場」は中央アジア を公開しました。

2008.2.11 時事雑感、米メディア史を回顧し幻想を捨てよ!根底にあるそのイエロー性と権力癒着体質 を掲載しました。

2008.2.7 時事雑感、フィリピン近現代史をめぐる日本と米国(2) を掲載しました。

2008.2.6 ドイツ語メディアから、旧西独地域に基盤築いた左翼党 低迷、孤立するSPD━ドイツ左派、流動化へ を公開しました。

2008.2.5 時事雑感、13年間比下院議長に居すわったデヴェネシア氏追放━ラモス元大統領院政の終焉を暗示 を掲載しました。
読者の皆様へ


 私が期せずしてメディアの世界に足を踏み入れるきっかけとなったのは1975年の2月のことでした。東京西郊の国立市にある大学の大学院生用掲示板に「共同通信社補充記者募集」の貼紙を見つけたのです。小雪の舞い散る寒々とした日でした。修士課程の論文審査と博士課程の試験が無事終わった直後に、慕い、尊敬していた所属ゼミの教授はガンを患い、長期療養に入ってしまいました。掲示板の紙を目にしたのは奥様から「医者から今度の手術が上手くいっても、よくもって数年と言われています。若干の研究は続けられても、もう教壇には立つのは無理だし、ゼミも主宰できないと言われました。本当にごめんなさい」と告げられた数日後でした。

 いわゆるジャーナリズムにまったく無関心だったわけではありません。しかし、特定の月刊誌は別として、新聞、週刊誌の類の熱心な読者では決してありませんでした。若気の至りというか、メディアの世界が深く事象の本質を探求するとはとても思えず、特に事件、事故など社会面記事は唯一身内が死亡した1970年ごろ韓国・ソウルで発生したホテル火災事件を除き、夢中になって読んだ記憶がありません。

 ジャーナリストという言葉に憧れたこともなかった私が1975年4月以来、もう32年も記者を続けているのですから皮肉なものです。どんなニュース活動をしているかほとんど知らなかった社団法人・共同通信社は当時おおらかな組織でした。採用年齢制限を1歳越え、しかも面接試験では十分な予備知識を持って臨むこともしなかったため、「君は通信社のことを少しは勉強してきたのか」と当時の編集局長に厳しく質され、「これから勉強します」と答えてしまいました。それでも採用してくれたのだから、「おおらかだった」としか言いようがありません。

 第1次石油ショック後の不況で1974年度の記者募集を中止したものの、若手記者の人事異動に支障が出るため急きょ若干名を募集することにしたそうです。それで真冬の2月に慌てて記者採用試験を実施したわけです。同期には売れっ子・ノンフィクションライターとして活躍している魚住昭がいます。共同通信社の第一次面接の帰途、電車で偶然に同じ車両に乗り込み、顔を合わせたのを覚えています。私は同じ大学の大学院に在籍、彼は学部生だったからです。かなりはすに構えた、反骨精神に溢れた青年というのが、当時の印象でした。

 今は亡き教授は「われわれの仕事の目的は歴史や社会事象のRETTUNG(ドイツ語で、一般には救助、救出と訳されますが、『埋もれてしまったものを救い出す』というニュアンスがあります)にある」とわれわれゼミテンを諭していました。私が記者試験を受けてみようと思い立ったのはこのレットゥング(RETTUNG)こそジャーナリストの仕事だと思い込んでしまったからです。

 どんな形であれ、権力を持つ者は、必ず力を維持、拡大して行こうとしますから、腐敗、不正は不可避です。メディアはいわゆる三権によるチェック・アンド・バランスでは不十分な面を補完する機能を果たさねばなりません。権力執行の真相の大半は日々闇の中に葬られてしまって行ってます。それを掘り出し、明るみに出すこと、つまりレットゥングはジャーナリズムの本来の責務である「権力の監視」と密接不可分な関係にあると考えたのです。

 しかし、記者になり10年も経つと、大手メディアが誇らしく掲げる「権力の監視こそジャーナリズム」との看板に偽りがあることを痛感するようになりました。この美辞麗句が実に建前に過ぎないことにはっきりと気づきました。実態は歯止めもなく、権力執行者、あるいはその諸機関などとの癒着に埋没してしまっています。一部の者は、全国紙Y紙のW会長に象徴されるように、完全にインサイダーとなり、政局の仲裁者、巨大企業と官界・政界の仲介人、あるいはフィクサーとなる者も少なくありません。「社会の木鐸」たるべき人々がミニW氏に化したり、たかり屋、ゆすり屋と呼ばれても仕方のないヤクザに近い類に転落した姿も見せつけられました。

 もちろん例外は多々あります。尊敬すべき先輩もいました。しかし、大手メディア企業所属のいわゆる会社記者は、排他的な談合組織であり、権力との癒着の媒体である記者クラブ制度という温室に安住し「暖衣飽食する社畜である」との結論にたどり着きました。この結論へと最終的に導いたのは1989年1月7日に起きた“宮中某重大事件”でした。まさに私にとってこの日は悪夢が現実となり、戦後ジャーナリズムが「自ら命を絶った日」となりました。

 当時、私に共感してくれた記者仲間の何人かと帰国後会いました。今は企業組織の“エグゼクティブ“になった者もおり、かつて憤怒の余り涙したことを忘却したかのように、組織防衛と自己保身に汲々とする姿をみせつけられました。中には、「そんなこともあったな」と苦笑いする者もいました。その度に、我々が信じ、さらに強固なものにしようと努めたはずの「戦後民主主義の旗手としてのジャーナリズム」と言うスローガンの虚構性をあらためて見せつけられました。しかし、絶望はしていません。強固な意志と「連帯を求め孤立を恐れず」との精神であらゆる困難に立ち向かってまいります。

 現在、いわゆる情報革命、マルチメディア化でジャーナリズムも大きく変容しています。否、変容というより、ますます権力監視機能を脆弱化させ、権力機構にやすやすと操作されるたんなる情報媒体としての性格を強めています。こんな中、フリーランス記者として生きていくことは、分かり切ったことですが、実に多難です。取材費以前の生活費を賄う仕事に追われ、フリーランスになってからの13年間、成し遂げたことは実に少ないと言わざるを得ません。

 今、遅ればせながら自分自身のサイトを持ち、志ある人々と連帯し、真の自立した記者への道を切り拓くことと考えるに至りました。体の動く限り、「生涯一記者」を貫く決意です。私の一部媒体への寄稿にはインディペンデント・ジャーナリストと記すようになったのはこのためです。

 レットゥングの名に値するかどうかは分かりませんが、2007年7月に帰国して以降、日本の国際ネットメディア大手出版社月刊誌に掲載された2つの記事を挨拶代わりに、サンプルとして読んでいただきたいと思います。
著者略歴
 加治康男  1948年9月、福岡県北九州市(旧小倉市)生まれ。1967年久留米大学附設高校卒業。1975年3月一橋大大学院社会学研究科修士課程修了。同年4月、社団法人共同通信社入社。熊本支局、大阪支社社会部、ドイツ研修滞在、東京本社経済部などを経て1994年8月、同社を依願退職後、1994年9月-1996年5月まで米国・ウイスコンシン州に滞在。ここを拠点にワシントンをはじめ米東部、中西部各地を取材した。1996年5月より念願のアジア取材の拠点としてフィリピンを選び、マニラ、ダバオ(ミンダナオ島)に居を構えて日本の政府系機関からの委託経済産業調査にも従事しつつ、東南アジア全域と一部オセアニアなどをカバー。2007年7月より東京に拠点を移し、フリーランス記者として活動を始めた。
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